Lonely　Avenue14

　「無期限で５００万というのは、少し乱暴じゃないかね」
　川西代議士は、ワイングラスに口をつけながら言った。深紅の液体を映して、赤い光が部屋を漂う。
「無茶は承知です」
　俊は、苦笑しながら答えた。そして、訳のわからない名前のついた、牛肉の煮込みを口に運んだ。肉は、信じられないほど柔らかく美味かった。
「なかなかのものだろう」
　俊の表情を窺がうように、川西が言う。
「私は、あのナイフとフォークというのが嫌いでね。ここは美味いし、何より箸で座敷というのが、嬉しいじゃないか」
　彼は、愉快そうに笑った。
　こういうところを、「庶民的」等とアピールするのだろうかと、俊は皮肉に思った。
　それにしても、この店は徹底している。
　座敷も食器も、日本料理のそれだ。仲居も小豆色の着物を着ている。なのに、京焼の皿に盛られてくるのは、洗礼されたフランス料理だ。
「それで、貸していただけるのですか」
「君だからね、貸さないまでもないが、何に使うか話してくれてもいいんじゃないかな」
　川西が優し気に言う。息をついて見せた。
「取材に、アメリカへ行くんです」
　川西の表情に戸惑いの色が走る。
「多分、先生にも有効な情報を提供できると思います」
　俊は笑い、ワインで口を湿した。
「水城冴子について、調べに行くんです」
　川西が、持ち上げかけたグラスをその場に戻した。顔つきが、変る。
「時期＜水城コンチェルン＞会長の情報。決して無駄ではないと思いますが」
「何があるというのかね。水城冴子に」
　川西は、腕を組み問うた。
「まだ、何とも」
　俊の言葉に、彼は薄く笑い首を振った。
「彼女は、今東京だろ。なのに、なぜアメリカへ行く？」
「ニューヨークで、水城静音が殺されたのは、御存知ですよね」
　俊は、声を低くし圧力をかける。声の音色（トーン）を変えるだけで、人は暗示に掛りやすくなる。けれど、それが川西に通用するという自信はなかった。気弱な教師とは違う。
「ああ、物盗りに襲われたと、聞いたが」
「――普通、強盗が、たった１発、額をぶち抜いたりしましか？」
　川西は黙し、ワインを口にする。
「それから、水城冴子が私生児だというのは？」
　川西が首を振るのを確かめて、俊は続けた。
「水城静音は、ケン・オダという男と暮らしていました。冴子の父親だというのは、はっきりしているようですが、籍は入れてません」
「その男、どうしている？」
　川西の目の光が強くなっている。掛ったな、と思う。
「死んだそうです。未確認ですが。アメリカからも出ていなかったようです」
　川西は、しばらく黙って腕を組み天井を見詰めていた。
　その間に皿は下げられ、代わりにシャンパングラスに盛られたソルベが目前に置かれた。清々しいライムの匂いが漂う。青いミントの葉が鮮やかだ。
「水伊君は、不満らしい。水城冴子が後継ぎだというのが」
　低く呟いた。驚いて顔を上げる。川西は薄く笑い、
「金は進呈しよう」
　と、言った。
「カードとトラベラーズチケットを君の名義で作っておくから、必要なだけ使いなさい」
「先生」
　思惑通り事が進んだのに、何故か戸惑った。
「先生、そんな貸していただければ」
「君の薄給では、返せないだろう。俊君、私は無駄金を使うつもりはないよ」
　川西は、ソルベを銀のスプーンですくった。
「水城冴子のことは、水伊君から聞いている。多分、今年中に水城は跡取り問題で揺れ始めるだろう」
「その時は、水伊社長を推されるのですか？」
　俊の問いは、笑いではぐらかされた。
「ただし、内容の公表は何であれ、こちらに従ってもらうよ。」
「え、ええ」
　俊は、川西から強い圧力（プレッシャー）を感じた。
　――利用するつもりが、反対に利用されるのか。
「結果によっては、全て潰すことになるかも知れないよ」
「ええ、わかっています」
　その時は、その時だ。
　俊は、前髪をかき上げる。
「失礼いたします」
　声が掛って、障子が開いた。コーヒーの香りが流れ込む。
「で、いつ出発する？」
「祖母の四十九日を終えたら、行きます」
　ふと、川西のコーヒーカップの持ち方が、拓馬のそれと同じなのに気付いた。とたん、俊は滅入った気分になった。
「コレクトで、定期的に連絡をいれてくれ。２、３日中に具体的なことを、永野に伝えさせよう」
　俊は、ゆっくり頷いて見せた。
「君の勘の良さは、信用しているからね」
　川西が、励ますように言った。
　瞬間、ああそうかと思った。彼が簡単に出資する気になったのは、俊も又、あの祖母の血を引く者だからなのだ。
　俊は、嘲笑する。
　【力】のないことは、時には幸福であり、時には皮肉だと思う。
「では、よろしくお願いします」
　俊は、頭を下げた。

　真暗な部屋の中で、小さな明かりが点滅している。
　その光を頼りに、俊は電話に近づいた。そして、留守録を再生にした。
　部屋の灯をつける。
　台所へ行き、コップ１杯の水を一気に飲み干した。ピーという音が、再生の始まりを知らせる。
　島のおじの声が入っていた。
「…俊、テレビ局がな、四十九日来るって言うてきたんやが、お前を拓馬にインタビューしたいんだと。断っておいたけんど、明日こっちに電話いれてくれんかのぉ。ああ、それから、このこと拓馬に言うたらいけんで……これ、もう切れるんかいな……」
　俊はソファに座り、テーブルの上に夕刊を置いた。
「月島さん、東野です。吉田美奈子に会って来ました」
　夕刊をめくっていた手を止めた。
「彼女、水城家には５月から勤めるんだそうです。月島さんの言ってた通りに言ったら、始めスパイみたいって渋っていたけど、最後は冴子って子のことだけですね、って念押してやっと承知してくれました。まっ、詳しいことは、明日社で。一応、知らせときます。じゃあ」
　セールスの録音に変わる。
　俊は夕刊を読み終えると、台所へ行き冷蔵庫からバドワイザーの缶を取り出した。
　ふと、さっきの夕刊にアルコール依存症の記事があったのを思い出した。ビールぐらいじゃね、と苦笑しながらそれでも缶を冷蔵庫に戻した。
　部屋に戻り、今度は読みかけの推理小説をめくり始めた。
　録音はまだ続いている。
「……です。近いうちにお伺いしますので、よろしくお願いします……」
「月島、わかるか」
　突然のデスクの声に、顔を上げた。
「相田一美が死んだ。心臓発作とかで、今日葬式だったそうだ…」
　声が遠ざかっていくような気がする。
　ツマリ、２年前の事件を知る者は、水城冴子以外誰もいなくなったということだ。
　強い違和感を感じた。違う。今、思いたいことは。
　カワイソウニ。タッタ１７デ死ンデシマッテ。
　俊は、大きな溜息をついた。
　病院へ行くのは延期だ。では、帰国してからということだ。
　それにしても。
　ポケットから、煙草を取り出しくわえた。
　拓馬にどう言えばいいのだろう。川西に、拓馬の父に、金を借りたということを。
　煙草に火をつけると、煙を深く吸った。