Lonely Avenue

19 Big Apple

 ニューヨークに着いて1週間。俊の興味は水城冴子から、Ken=Oda へ傾いていた。
 小学校、アパート、警察、etc
 7つの子供の姿が儚い程、反対にその父の姿は鮮やかだった。
 俊は、ゆっくりドライマティーニのグラスに口をつける。21時を回った店は、少しずつ混み始めている。英語のざわめきが、BGMのようだ。黒い服のウェイターが、泳ぐように流れていく。
 自分がどこにいるのかわからない。ニューヨークはそんな街だ。
「――警察、どうでしたか?」
 向かい合ったRaynolds=Wollace が問うた。
「何もなかったでしょう。きっと、犯人が捕まることなく、だた時間だけが過ぎていくのでしょう、あれは」
 彼は、淋し気に顔をしかめた。
「ここでは、現行犯以外はほとんど捕まらないのです」
 彼は、スコッチのグラスを取り上げた。
「オダ氏とは、高校来の付き合いだとお聞きしましたが」
 レイノルズが、頷く。白っぽい金髪が揺れて鈍く光る。50代前半のはずだが、かなり若く感じる。それはラフな服装のせいかもしれない。何にせよ、彼はクォリティペーパーの編集員としての誇りと、その成功者としても自信に満ちている。
「田舎が、同じなのです。でも、ケンは3年もスキップしていたから、高校で同じクラスになるまで知らなくて」
 少し早口になってくる。俊は、引きつった笑みを浮かべて見せた。それで、もう少しゆっくり話して欲しいのだと、通じるとは思えないけれど。
「でも、それから腐れ縁で、大学もニューヨークタイムズもベトナムも一緒に行きました」
「従軍記者としてですね」
「ええ、でも最初の2年だけです。平和な時でした」
 彼はそう言って、肩をすくめた。一種のジョークのつもりかもしれない。が、俊は気が付かないことにした。
「帰国されて、水城静音さんと知り合った」
「映画みたいな、大恋愛でした」
 懐かしむように目を細める。又、スコッチを一口飲んだ。
「圧力は? <水城コンチェルン>からの圧力は、どうだったのですか?」
 俊の問いに、レイノルズが眉を寄せる。少し考える。
「…サエが生まれるまでは、色々あったようですけど、それ以降は全く、静音が殺されるまで、音沙汰なかったようです」
「じゃ、なぜ結婚しなかったんですか?」
 俊は、マティーニを飲み干した。そう、Ken=Oda と水城静音は入籍していない。しかもKen=Oda は冴子を認知すらしていない。大恋愛の二人には、それは不自然なことだ。
「―――ケンは、国籍がなかったのです」
 グラスを置いて、俊は顔を上げた。「NATIONALITY」の意味を、国籍以外の意味を考える。
「国籍を、参戦拒否で剥奪されたのです」
 レイノルズは淡々と言い、溜息をついた。俊は言葉を待つ。
「召集令状が、ベトナムから帰って半年後にケンに来たのです。彼は、絶対行かないと。それで」
 レイノルズが、又一つ息をつく。
「ケンの父親は、日系の2世か3世だったそうです。母親はロシア人でしたから、どうしようもなかったのです」
 口を湿すようにスコッチを飲む。聞き違いでなければ、彼はKen=Oda の父とは面識がない。Ken の父親のことも調べた方がいいだろう。
「それに、彼ベトナムで目立つことしたから」
「何を?」
 彼は首を振った。
「私もよく知りません。ケンも話してくれませんでした。私が知っているのは、軍に目をつけられる事だったということ。そして、ケンの撮った写真がフィルムごと没収されたということだけです」
 嘘だな、と俊は感じた。
 レイノルズは、常に協力的だった。それは、彼があの家族に対して好意を持ち続けているせいだ。そして、俊を自分と同じジャーナリストとして尊重しようとしているからだと思う。その彼が、口を閉ざすのなら、それを突っ込んでみても無駄だ。
 レイノルズが、2杯目のスコッチを頼む。俊も、3杯目のドライマティーニを頼んだ。
「警察で、面白いものを見ました。Oda氏の失踪届け、<水城コンチェルン>のロス支店が出してますね」
 俊の脳裏に、それに貼付されていた写真が蘇る。
 アパートの中、親子3人が笑っている。市松人形のような美しさの水城静音。黒い艶やかな髪を束ね、淡いブルーのブラウスを着ている。優しい赤い小さな唇。細い顎と瞳の輝きが、意思の強さを示す。そしてそのミニチュアのような冴子。おかっぱの黒い髪。今より、よほど日本人らしく見える。
「<水城コンチェルン>は、遺体を発見してもう終わりにしたいのでしょう」
「貴方はどう思われているのですか? 冴子嬢のOda氏の死に関する話、かなり曖昧だと思いますが」
 深緑色の鋭い眼光。短く刈った黒味かかった髪。端正な無国籍風の顔立ち。実際、Ken=Oda は、カラード(有色人種)という以外は、何系とも言い難い顔をしていた。複雑な血。きっとそれは、2、3年もすれば、水城冴子にも色濃く表れるのだろう。
「――サエは、ショックでその辺りの記憶を失っているのです」
「その冴子嬢が、Oda氏は死んだと言った」
「ケンは死んだと思います」
 低い声でレイノルズは言った。温和な顔が、キツクなっている。
 ウェイターがやって来て、グラスを置いた。そして遠ざかって行く。それを見送って、レイノルズはもう一度、
「ケンは死にました」
 と、完了形で言った。
「彼は、ニューヨークを出奔してロスで消息を絶つまで、月に一度、必ず私に連絡をくれました。生きているなら、7年も音信不通にする訳がありません。ただ」
 彼は言葉を切った。俊は、その早口を頭の中で反芻している。
「ただ、遺体は見つかって欲しいですね。静音の横に眠るのが眼鏡では、やりきれません」
 彼は苦笑して、グラスを取り上げた。もしかすると、彼は静音に横恋慕していたのかもしれない。彼の、あの家族に対する献身は有名だし、彼はずっと独身のままだ。俊は、自嘲する。ヤクザな3流誌の記者の考えそうなことだ。
「静音夫人が殺された時、冴子嬢はどうでしたか?」
「しっかりしていました。ショックは受けていましたが」
 担当だった刑事と同じ事を言っている。
「Oda氏は?」
「意外と冷静でした。でも……。警察でお聞きになったのではありませんか」
「彼が、冴子嬢を殴ったという話ですね」
 レイノルズが頷き、目を伏せる。俊は続ける。
「遺体を確認した後、冴子嬢を、定刻に下校しなかった故に難を逃れた彼女を、いきなり殴った。なぜ時間通りに帰らなかったのかと叫んで。冴子は壁に激突して気を失った―」
 俊は、マティーニを飲む。それは冴子のトラウマに、成り得る事だったのではないだろうか。
「時々、私はケンがわからなくなりました。あの時もそうです」
 レイノルズが、グラスを煽る。
「ケンは、誰も理解しようとしない代わりに、誰にも理解を求めない。でもそれは……」
 空になったグラスを、両手で抱えるように握る。言葉が続かなくて、彼は苦笑した。
「Oda氏は、静音夫人を愛していたんですね」
「盲愛していました」
 即座に答えが返ってくる。
「では、冴子嬢は?」
 レイノルズは言い淀む。グラスを握る手に力が入っている。
「……愛していた筈です。ただ、静音に対する程ではなかった。それは事実です。静音はケンが理解を求めた、唯一の人間なのです」
 俊は、マティーニを飲み干した。そして、ポケットから水城冴子の写真を取り出した。
「4月の終りに撮ったものです。どうぞ、差し上げます」
 レイノルズが写真を手に取る。しばらく目を細め、じっと見ていた。
「――何か、痛々しいですね。まるでサエを剥いているようで」
「え?」
 俊は声を上げた。レイノルズは不思議そうに、俊を見る。
「日本語で、牙のことをサエと言うのでしょう。サエが生まれた時、ケンが教えてくれました」
「……Oda氏、日本語は?」
 声が、微かに震えている。
「いいえ、全く出来ませんでした――」
 店を出て空を仰ぐと、満月がビルの間に浮かんでいた。摩天楼の黒い影が、迫っている。
 まるで、地の底にいるみたいだ。
 俊は思い、それが英語だったのに苦笑した。
 早足に、歩き始める。

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