Lonely　Avenue22

　人の流れの向こうに、俊の姿が見えた。
　出発した時と同じ、ベージュのコットンスーツ。でも、ジャケットは羽織らず腕に持っている。陽に焼け、前髪が伸び、少しやつれたような感じだ。
　拓馬は手を振った。
　俊は気がつかない。伏目がちの硬い表情のまま、黙々と歩いている。たった１ヶ月だったのに、まるで別人のようではないか。
「俊兄ぃ、俊兄ぃ！」
　俊が立ち止まった、微かに笑う。
「俊兄ぃ」
　拓馬は俊に駆け寄った。

　「じゃ、俊兄ぃ、俺用事があるから」
　拓馬はそう言うと早足に行ってしまった。少し離れた所にＭＲ２の見慣れたシルエットがあった。
　俊は一つ息をつくと、黒塗りのベンツの後部シートに乗り込んだ。奥には、川西代議士が座っている。
「いいんですか、拓馬」
　俊の問いに、川西は頷いた。確かに、ビジネスの話に拓馬は邪魔というものだ。
　ベンツが走り始める。成田のロータリーをゆっくり回る。拓馬のＭＲ２が、追い越していく。
「結局、１ヶ月か。長かったな」
「無事帰国できましたのも、皆先生のお蔭です」
　俊は、深々と頭を下げた。川西が頷く。
「ＬＡ市警から連絡が来た時は、実際驚いたよ」
　俊は苦笑して見せる。
「先生のお力がなければ、まだＬＡ市警に勾留されていました。それどころか、裁判になっていました」
「で、結果はどうだね」
　今日の川西は妙に焦っているようだ。大体、空港へ川西自身が来ること自体、気忙しい。
　車は高速に入る。
　俊は、知らぬところで事が重くなっているのを感じた。
「近いうちに、報告書を作って持って行きます」
　じらすように言う。案の定、川西はむっとした表情になった。
「報告書も見せてもらうが、取り合えず結論を聞かせてもらえないか」
　俊は重く息をつく。
「結論なんてありません。あるのは推論だけです」
　川西が硬い表情のまま見ている。瞳の奥の光が鋭い。俊は、ポケットからメモ帳を取り出し広げた。
「水城冴子、ニューヨーク生まれ、６歳の時に母が殺され、アメリカ中を父と転々とした後、ロスアンジェルスで父を亡くし、水城コンチェルンに引き取られました。それが、１０歳の時です」
　日本語が話し辛いと感じる。こういうのも、時差ぼけのうちなのかもしれない。思考がまとまらない。疲労で躰が重い。
「彼等は、何から逃げていたのでしょう」
「逃げた？」
　川西が聞き返す。
「静音が殺された以降のＫｅｎ＝Ｏｄａの行動は、何かから逃げているとしか思えませんでした。それも西へ。もしかすると日本へ向かっていたのかもしれません」
「逃げる理由があったのか」
　俊は首を振る。
「ありません。当時全てが順調だったのは、はっきりしています。それに、逃げる、という言葉ぐらいＫｅｎ＝Ｏｄａにそぐわないものはないでしょうね」
　けれど、彼は逃げたのだ。丁度、冴子がＮ中の事件の後、長崎に逃げたように。
「Ｋｅｎ＝Ｏｄａは、国籍を剥奪されていました。それが、あながち無関係とは思えません。それに彼の父親も、第２次世界大戦後スパイ容疑で拘留され獄死しています」
　アメリカの為に働かなかった、パターンの似通った父子。似すぎて、何か共通の目的があったのではないかと思えてくる。何か、アメリカに従えない何かが。
「ともあれ、Ｋｅｎ＝Ｏｄａは娘を連れて逃げた。それが、冴子のトラウマです」
　川西が腕を組む。
「母親だけを盲愛する父親の存在は、原因になるのではないですか。Ｋｅｎ＝Ｏｄａは冴子を連れて行ったけれど、それは一種の代償行為でした。実際、その頃の冴子は静音のミニチュアのようです。それが、父を亡くして１週間足らずで顔つきが変わっている。父親似になっているんです。だから、マリア＝ホワイトは、１ヶ月近く自分が拾ったのが会社で探している子供だと、わからなかったんです。冴子には、父はプレッシャーだった。それに自身が気付かない程…」
　俊は、言葉を切り息をついた。
「それが、未だに尾を引いていると言うのかね」
　川西が目を細めている。機嫌の悪い時の表情に近い。
「帰国して以降のことは、まだ取材が完全ではないのでなんとも言えませんが、引き摺っていると思います。幼児期のトラウマは、簡単に消えるものではありませんから」
　そう、それは俊自身が一番よく知っている。額の傷が疼く。
　川西は黙ったまま何か考えている。俊もまた、黙した。
　車は高速を降り、都心に入る。
　長い沈黙だった。
　俊は窓の外を流れる東京の町並みを見ていた。懐かしさも安心感もなかった。情の薄い人間だから、と苦笑する。
「……水城冴子は、水城コンチェルン代表として、上に立つ人間か？」
　川西の問いに、俊は戸惑った。
「私はなんとも。ただ、私ならやめます。水城冴子には、禍々しいものがありすぎる。周りに、死人が多すぎる」
「確かに、あれは聖女ではないな」
　川西は頷いた。
「報告書、なるべく早目に。永野君に取りに行かせるから、連絡してきなさい」
　車の向こうに、俊のマンションが見え始める。
「先生、これわかりますか？」
　俊は、ポケットから１枚の名刺を取り出した。川西に渡す。ごく淡いペールブルーに黒い字が鮮やかな上質のものだ。
「事故の直後にマリア＝ホワイトのバッグから抜き取ったんです。ま、そのせいで、市警に疑われて拘束されたのですが」
　川西が、名刺の両面をかわるがわる見ている。
「マリアは、カオル・タカハシという人に全部話したと言いました。その名刺だと弁護士のようなので、先生お知り合いでしたら口をきいて頂きたいのです」
　川西が首を振り、笑いながら俊に名刺を渡した。
「知ってはいるが、取材は無理だ。この住所は＜水城総合ビル＞　この高橋弁護事務所というのは、水城の顧問弁護士団だよ」
「水城の」
　俊は絶句した。

　俊が、マンションの中へ消えて行った。
「どうしますか？」
　助手席で、永野が問うた。
「そうだな」
　川西は煙草を取り出し火をつけた。
　車は又走り始める。
「水伊君のところへ、連絡してくれ」
　永野が、電話をかけはじめる。
　川西はゆっくり煙を吐いた。俊はいい青年になったと思う。ゆくゆくは拓馬の補佐として、役立ってくれることだろう。ただ、妙に醒めた態度が気になるが、拓馬とではかえってその方がいいのかもしれない。
　川西は、満足気に頷いてみる。
「先生、お出になりました」
　永野が受話器を差し出す。
「やあ、水伊君。先日の件だが、協力させてもらうことにするよ
　川西は、シニカルに笑った。