Lonely Avenue

34  スイミング・ビューティー


 ボーイは恭しく、ドアを閉めて出て行った。
「ともかく乾杯しましょう」
 麻美は晴れやかに言い、2つのフルートグラスにシャンパンを注いだ。1つを差し出す。水伊は笑み、グラスを受け取った。
「乾杯」
 2つのグラスが、涼やかな音を立てた。グラスを干す。麻美も、ぐっと杯を空けた。白い喉が、なまめかしく動く。
「これで、基盤はできたわね。総会が楽しみだわ」
 グラスを持ったまま、麻美は水伊の首に手を回した。
「おめでとう」
「まだ早い」
 水伊は早口に言い、麻美の腕から擦り抜けた。ワゴンに近づき、グラスにシャンパンを注ぐ。
「ステーツの動きがはっきり掴めるまでは、安心できない」
 注いだシャンパンを一気にあおって、又注ぐ。
「そんなに気になる?」
「ああ」
 水伊は、窓へ近寄りガラスにもたれかかった。
「あの親子にステーつが干渉していたのは、確かだ。だからって、今度のでチャチャを入れられたのではたまったものじゃないからね」
 麻美が近づき、同じようにガラスにもたれかかった。ドレスのマゼンダに、ベアショウルダーの白い肌が際立っている。
「わからないわ、私には。静音はともかく、ただの記者をどうして」
 水伊はネクタイを緩めると、しゅっと音を立てて外した。
「国籍剥奪が気に食わない」
「でも」
 水伊は時計に目をやる。ベッドの横のそれは、2時を指していた。
「……中途半端な時間だな」
「正樹」
 麻美が鋭く言って、きっと目を向ける。
「答えになっていないわ」
 水伊は肩をすくめた。麻美の気の強さが、時折うっとおしい。その高慢さを好ましく思っているけれど、時々それがたまらなくなる。
 水伊は、息を吐いた。
「従軍記者は、だいたい徴兵されないものなんだよ」
 簡単に言って、窓の外に目をやった。
 晴れ渡った青い空。夏のきつい日差しに都心のビルのガラスがキラキラ煌いている。
「ああ、そういうことなの」
 麻美が小さく頷いたようだった。
 眼下のプールのマリンブルーが、目に痛い。平日なので、泳いでいる人はあまりいない。そのせいか、場違いな程静かに見えた。静けさを破って、ラベンター色の水着の金髪の女が、完璧なフォームで飛び込む。
「外国人ばっかりね」
 やはり、眼下のプールを見やって麻美が言った。
「いい天気ね。時間あるでしょ。泳がない?」
「―――」
「正樹! 何ぼうってしているの?」
 麻美の叱咤する声に、水伊ははっと我に返った。
「――正樹」
「ああ。疲れたな。泳ぐなら一人で泳いでくれ」
 水伊は、窓から離れた。ベッドに近づく。
「正樹、見て。冴子がいるわ」
 水伊は足を止めた。振り向き、又窓へ歩み寄った。
「ほら」
 麻美が、眼下へ顎をしゃくる。
「エメラルドグリーンのワンピース。真ん中あたりで泳いでるじゃない」
 確かに、濃緑色の水着がゆっくりとしたバックでプールを横切っている。伸びやかな四肢、冴子はしなやかな魚のようだ。
「学校はどうしたのだろう」
 目は、冴子の肢体に吸い寄せられている。
「試験中でしょう。あの子らしいわね」
 麻美が、くくっと笑った。
 水伊は、さっき見た時なぜ気づかなかったのかを考えている。泳ぎ方からして、来たところではないのに。
 泳ぎ切った冴子が、プールサイドに上がる。濡れた肌が、陽に煌く。若い男が近づく。知り合いらしい。表情のわかる距離ではないのにも関わらず、水伊は冴子が笑うのがわかった。
「あら、男連れなのね」
 ヒュッと、麻美が野卑が声を上げた。
 冴子と男は、肩を寄せ合っている。水の照り返して、男の顔はわからない。でも、水伊はどこかで会った気がしていた。
 冴子が、腕を伸ばし男の前髪をかき上げる。甘えた仕草、表情、声。わかる筈がなにのに、水伊はその様をまざまざと感じていた。
「男がいるなんて……薫は何をやっているのだ」
 水伊は吐くように言った。
「正樹、醜いわよ。40男の嫉妬なんて」
 麻美の言葉に、水伊は彼女を見た。彼女は哀れむように笑む。
「私が知らないと思ってた? 本気だったんでしょ。プロポーズしたの、本当はあなた」
「やめろ」
 水伊は短く言って、又プールに目をやった。
「麻美、戯言はいい」
 プールサイドでは、冴子達がじゃれている。水伊は冴子を見詰める。
「嫉妬しているのは、私よ」
 麻美が、水伊の背中に掠れた声で言った。







 「どうしたの?」
 急に振り仰いだ拓馬に、冴子が聞いた。拓馬は、しばらくホテルの窓達を見上げてから、
「いや、何でもない」
 と、答えた。
「夏休みどうするの?」
「ん、俺、島に帰らなきゃいけんけど」
 拓馬は冴子を抱えるようにして、デッキチェアへ行き腰掛けた。
「何日ぐらい?」
「まだ、わからない。例祭があるから」
 拓馬は、又窓を見上げた。
 さっきの視線は、何だったのだろう。ぞっとするような、暗い濁った禍々しい歪んだものだった。
 拓馬はそれが気になる。その視線は、冴子に向けられていたのが気になる。それは攻撃に移る前の獣のように、冴子を見ていた。
「拓馬、聞いてる?」
「あ、ああ」
 拓馬は、冴子に目を戻した。冴子は少し拗ねたように口を尖らせている。
「とうかしたの?」
「なんでもないよ」
 空は、淡く抜けるように青い。

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