Lonely Avenue
36 響 紋
長い祝詞が終わった。 雅楽の響きが始まり、二人の巫女が舞い出てくる。白い水干の袖が、風にひらめく。緋色の袴の裾がゆっくり踏み歩む。金の鈴が、鈴やかな音をたてる。 夏の例祭の最終日。拝殿の周りには、沢山の篝火が燃えている。華やかに並ぶ出店。溢れんばかりの人。人。 拓馬掻き分けるように人込みから抜け出した。途中、何度も声を掛けられたが、拓馬は愛想笑いを浮かべただけで答えなかった。 拝殿の後ろを回り、庭を横切る。 昇り始めた満月の光で、庭は銀に染まっていた。ふと、足を止める。池の魚が跳ね、一瞬雅楽と人のざわめきを断った。 天を仰ぐ。熱い風が、浅葱の袴の裾をはためかして行き過ぎる。星々がまたたく。その輝きは、拓馬に【夢見】で見た星図を思い出させる。 ふうと、息を吐いた。 歩き出す。 拓馬は、甘美な思いに酔っていられない自分の性癖を悲しく思う。 冴子は微笑み、やさしく、甘え、囁く。あれから、コンチェルンも高橋薫も姿を見せない。今は何の懸念もない筈なのに、不安が胸をきりきり締め付けている。 拓馬は足元の小石を蹴った。 「拓馬坊ちゃん」 障子の開け放たれた座敷から、呼ばれた。 拓馬は振り向き、縁側から家に入った。 「俊兄ぃ、支度出来たん?」 声を掛けながら、座敷に入る。中には手伝いの女衆が3人と、床几に腰掛けた俊がいた。 「俊兄ぃ、巫女舞い始まっとるで」 「うん、知っとる」 拓馬の言葉に、俊は仏頂面で短く答えた。 「人も、ようけ出とるわ」 「うん」 雄黄色の狩衣を着た俊は、手に持った舞扇をバシッバシッと鳴らしている。髪を撫で付けて、額を出しているのが気に入らないらしい。その気分が、顔に出ている。 「俊兄ぃ、前髪ない方が男前やな」 拓馬は、笑いながら俊の前に座った。床几に腰掛けている俊を、見上げる。表情は動かないが、むっとしたのぐらいわかる。もっとも、神楽の前の俊の機嫌が良かったためし等一度もなかったが。 「ほんに、俊坊ちゃん、せっかくの男前が台無しですよ。あの前髪じゃあ」 手伝いの女衆が笑いさざめきながら言う。彼女達はさっきまで俊の着ていた着物や袴を畳んでいる。 俊が、溜息をついた。 「最近、そればっかりやな」 「えっ……」 「何でもない」 俊は早口に言って立ち上がった。遠くを見やる。 「そろそろだな――」 俊が舞う。 腕がゆっくり弧を描く。たたらを踏み、瞳が彼方を望む。雅楽とも能ともいえない複雑な音律。ざわついていた境内が、しんと静まっていく。 俊の神楽は、いやおうなしに人を引き付ける。巫女舞いをしたのを思い出す。あの時、すでに俊の両親も妹もこの世の人ではなかった。 祖母が俊にどう言ったのかは知らない。ただ俊は巫女舞いから神楽へ、拓馬が抜けても舞い続けている。 「俊の舞いは、胸に染みるな」 拓馬の耳元に、おじが言った。拓馬は笑って頷いた。 雄黄の袖が、翻る。 その度、金色のオーラが広がっていく。それは、包み込むように暖かでも優しくでもないが、見惚れる程毅然としていた。王者の波動。人の上に立つ者の輝き。 拓馬はオーラに身を委ねる。 溢れる【力】。俊の【力】は無いのでもなく、失われたのでもなく、閉ざされている。舞いは、それを目覚めさせ、意識を拡大し、飛翔させる。 けれど、俊はそれに気づいていない。拡大はその場限りで得るものがない。 だからブレインになっても、自ら立とうとはしない。立つ器ではないと思い込んでいる。ずっとそうだった。 祖母に似ているのは、誰よりも俊自身なのだということを彼は知らない。 それが、俊の真のトラウマなのだと思う。 篝火が燃え、俊の険しい横顔を映す。 〔俊兄ぃ〕 拓馬はオーラに意識を滑り込ませる。 〔俺、俊兄ぃを裏切るよ〕 黄金のオーラは、受け入れるけれど理解はしていない。理解できるそのキャパシティがないのだ。 〔俊兄ぃ、冴子は俺を殺しに来た。多分あの時も、相田一美を殺したんだ。証拠なんてないけど、俺にはわかる。冴子の禍の波動。冴子は人を排する力も冷酷さも持っている。……だから、高橋薫は冴子から守ってやると言ったんだ、あの時。彼女は真実を知っている。俺の知らないことがわかっている。……あれが、人ではないということ。では、何なのかということ。でも、俺にはどうでもいいことだと言える。俺自身、冴子のことなんて言えない。【力】を持て余す俺は、人外のものと何も変わりはしない〕 それは、皮肉ではなく本音だ。 〔俊兄ぃと川西が、そういうつもりなのかわからない。でも、俺はもう何よりも冴子を選んでしまった。あれが何でもいいと、思ってしまった。………でも、俊兄ぃと反するのは、辛い……〕 俊の額に、前髪がはらりと落ちてくる。意識が拡大しすぎて、俊は別人のような顔になっている。恐ろしく無表情で端正な顔。その顔が、一番祖母に似ていた。 〔俊兄ぃ、ごめん〕 オーラの光は輝き、全てに満ちる。 拓馬の頬に、涙がすっと伝わって落ちた。 もし、俊が内の光を知りそれを開放できれば、反目せずにすむかもしれない。金の光は、全てを正しい道に導いてくれるだろう。あれは、そういう【力】だ。 音律は激しくなり、ふつと絶つ様に途絶えた。 俊の袖が、ゆっくり閉じられる。オーラがそれにつられるように、俊の中へ戻っていく。 拍手と歓声が、あがった。境内が揺れる様な歓喜の声の中、俊は無表情のまま立っていた。まだ意識が帰ってきていない。 天中に昇った月が、俊の上に降る。 その姿に、拓馬は抗えぬものの力を感じていた。 |