Ｌｏｎｅｌｙ　Ａｖｅｎｕｅ4

　電話が鳴っていた。
　俊は寝返りを打つと、布団を頭からかぶった。
　布団越しにコールが響く。しつこいと思った瞬間、空港から帰ってすぐに留守番機能をオフにしたのを思い出した。ちっと舌を鳴らすと、ベッドから下り隣室へ入った。
　折りからの西日に、部屋は赤く染まっている。
　テレビの横のボックスの上で、電話はヒステリックにわめいている。その鳴り方で、拓馬からだと思った。だから、今は話したくないと思った。
「寝起きの電話だけね。あなたが感情を、ガードしてない感情を見せてくれるのは」
　何年か前、別れた女が捨て台詞のように言った。俊は、それを苦々しく思い出しながら受話器を取った。
「俊兄ぃ」
　躊躇いがちな声がする。
「寝てた？」
「ああ」
　曖昧に答えながら、受話器を左手に持ち替えた。腕を伸ばしテレビをつける。ニュースが流れていた。
「拓馬、何か用事か」
　強い調子で言った。
　俊が拓馬のように【読め】なくても、パターンで何を考えているのかわかるように、拓馬も【読まなく】ても、俊が何を考えているのかわかる。だから、今ので話したくないというのは伝わったと思う。
　まるで、化かしあいだ。俊は苦笑する。
「俊兄ぃ、俺ね」
　伝わったはずなのに、拓馬は尚何かを言い出しかねている。聞きたくない。なぜか、聞きたくないと強く思った。胸がむかつく。ビルの間に沈む夕日が、顔にまともに当たって熱い。
「夕飯、どうするんだ？　どこか、食べに行かないか」
　無駄だと思いつつ、話題を変える努力をしてみる。電話の向こうで、首を振る気配がした。
「これから、あいつと会うことになってるから」
「親父さん？」
「あれで、心配してたらしい…」
　拓馬が、精一杯皮肉に言う。が、その言い方はやさしい。
　【生きているだけましということか】
　俊は、胸の中で悪態をついた。
　拓馬の父親は、好きじゃない。認知もせず、１８年放っておいて、正妻に男子が生まれなかったからと引き取りたいと持ち出し、拓馬の【力】を知るとそれを利用する。そういった、いかにも政治家臭い態度が気に食わなかった。そして、そんな父親にそれなりの愛情とかを感じている拓馬も、腹立たしかった。
　腹立たしい……腹立たしい……自分一人生き残って……自分一人…。
「俊兄ぃ、俊兄ぃ、ごめん」
　急に謝られて、俊は自分が、又あの事故の事を思い出していたのに気付いた。
　瞬間、拓馬への嫌悪感に血が逆流した。額の傷が疼く。
　わかっている。拓馬が悪いんじゃない。拓馬を嫌悪する理由なんて、少しもありはしない。なのに、神経に障る。奴の勘の良さや気遣いが、傷を思い出させる。
「俊兄ぃ」
「用事なら、さっさと言えよ」
　苛立つ気持ちが押さえられない。寝起きは駄目だ。感情をコントロールできない。
　暗くなった部屋で、テレビだけがぼうっと白く浮かんでいる。明日の天気だと、ニュースは唱えている。受話器の向こうの気配が変わる。
「……俊兄ぃ、いいや、又今度にする」
　苦笑しながら、言った。
「急ぐ用事じゃないから。ごめん、起こしちゃって」
　それだけ言うと、拓馬は電話を切った。発信音が、無表情に鳴り続ける。傷つけたと思った。
「ごめん」
　俊は呟いた。
「拓馬、俺はお前が恐いだけなんだ。ただ、それだけなんだよ」
　頭が重い。日の沈んだ街に灯がともる。夜の海を行く船の灯のように、白い光が流れていく。
　愛情も憎悪も、本当は同じものなのだと俊は思う。少なくとも、あの従弟を思うとき、それ等は限りなく近づき絡み合い、大理石のような模様を描く。
　俊は溜息をつきながら、部屋の灯をつけ台所へ入った。冷蔵庫を開けると、バドワイザーの缶を取った。足でドアを閉める。ブルトップを開けた。ビールの冷たさが、喉に染みる。
　居間に戻り、ソファーに深く腰を降ろした。と、テーブルの上の大きな封筒が目に止まった。取り上げて中を見る。
「あれかぁ」
　中身は１枚のモノクロ写真だった。
　証明写真を引き伸ばしたのだろう。それの粒子は粗く微妙にボケている。けれど、その少女の眼差しは鋭かった。真正面を向いた固い表情。細く通った鼻梁と、薄い唇に特徴がある。アーモンド型の大きな黒目がちな瞳。冷たい視線。
　セーラー服を着ているから、日本人に見える。多分、服が変われば国籍なんてわからないだろう。何人にも見える。何人にも見えない。
　せめてもっと笑えばいいのにと思う。こんな神経質で気の強そうな表情をしない方が、ずっといいのに。
「この娘について調べてみないか」
　編集長に、そう言われてこの写真を渡されたのは１週間前、祖母の危篤の知らせが入る少し前だった。
「水城コンチェルン総裁の孫娘で、ちょっと経歴が変わっている」
　結局、その経歴は聞けず写真だけを渡されて島へ帰った。
　改めて写真を見て、決心がついた。
　編集長は、タレントに書いているような記事を想定しているようだった。が、そんな甘いものにはならないだろうと俊は思った。少女の瞳が、それを否定している。
　何かある。
　拓馬ほどでないにしろ、彼は自分の勘の良さをよく知っている。
　彼女には、もっと暗く燃える陰火のような何かがある。
　テレビが何時の間にか、歌番組になっていた。１ヶ月前、記事を書いたアイドル歌手が歌っている。あのハッタリ記事を上手く利用できたらしい。１５歳の可愛いだけのアイドルには、あの写真の少女のような緊張感などない。
　俊は、ふっと自分の下司っぽさに苦笑した。
　１４歳であの容姿だ。３年たった今、匂い立つような美貌になっているだろう。それだけでも記事に、グラビアにする価値があるはずだ。
　俊は、写真をテーブルに置くと、バドを飲み干した。