Lonely　Avenue44

　拓馬が、黄色いテニスボールを高く投げた。
　黄金色のアフガンハウンドが、美しいフォームで飛び上がりそれをキャッチした。歓声が上がる。拓馬の異母妹達だ。
「拓馬お兄いちゃま」
　末の古都子が、姉達を押しのけるようにして、拓馬にじゃれついている。真ん中の沙耶加は、負けまいと拓馬にしがみついている。上の真寿美は、さすがにじゃれついてはいないが――。
　彼女が、ふいにこちらを見た。
　俊と目が合い、軽く会釈する。水城冴子より２つ年下だというが、冴子のような棘はない。温室育ちの花のように、穏やかで優しい表情。母親によく似ている。
　川西が、小さく手を振る。笑いながら答える。
　俊は、グラスで唇を湿した。食前酒にと出された自家製の梅酒。真寿美の笑顔は、そんな家にふさわしい素直さに溢れている。
「真寿美が、一番真沙子に似ているだろう」
　川西が、顔を向けていった。俊は少し考える。
「そうですね。目元なんか、奥様そっくりですね」
　川西が頷く。
「末の古都子は拓馬に似ていないか」
　その古都子が、ボールを投げている。まだ小学生だ。誰にでも似ている年頃だ。
「――ちょっと気の強そうなところなんか、似てますね」
　気持ちと裏腹な言葉が出る。まぁ確かに、真寿美、沙耶加、古都子と下へ行く程、母親似から父親似になっている。女顔の拓馬も、こう見ると川西によく似ている。
　ふいに、額が疼いた。
　妹も生きていたら、あんな風に花の様に笑っていたのだろう――。
「いい夕暮れだ」
　川西が独り言ちた。
「家族が皆揃って、笑っている。私は、こんな素直な家庭が欲しかった」
　川西が照れるように笑う。
　満千代叔母とでは、それは無理だったろう。叔母はエキセントリックで、特異すぎた。子供心にもそれは強く感じていた。
　川西を嫌悪する理由なんて、どこにもなかったのだ。
　拓馬のことだってそうだ。川西は、拓馬を引き取りたいとずっと祖母に訴え続けていた。祖母はそれを拒み、誰にも言わなかった。だから、誤解が生じた。それだけのことだ。
　俊は、強い疲労感を覚える。
　視線を感じ、川西の方へ顔を向けた。真顔の川西が、俊の瞳を射る。
「俊君、うちの真寿美の婿に、いや、真寿美をもらってくれないか」
「………」
　戸惑う。川西の目を見る。それが冗談ではないことがわかる。
「まだ、子供じゃないですか」
　乾いた唇からそれだけ漏れた。
「４年すれば、２０歳だ」
　即答された。
　川西の思惑はわかる。俊は、拓馬のブレインとなっている自分を想像してうんざりする。薄く、シニカルに笑んだ。
　川西の瞳の奥に冷たい光が走る。
　俊は、グラスを持ち上げた。
「高橋薫と結婚するつもりなのか」
　グラスが空中で止まった。ゆっくり、ひどくゆっくり、それをテーブルに戻した。
　何がどうなって、川西の耳に入ったのかはわからない。が、隠しても無駄だとわかっていた。俊は、もう一度グラスを取り上げ、杯を干した。溜息をつく。
「いいえ、それだけはありません」
　首を振る。薫と寝たことを、彼は裏切りと見るのだろうか？
「いい女なのか」
「躰だけは」
　俊は、そう答えて野卑に笑った。川西の表情が緩む。
「まぁいい。あまり深入りしないことだな。それから、真寿美のこと、本気で考えてくれ」
　俊は一応、頷いて見せた。
「……いい夕暮れだ」
　又、川西が呟いた。
　夕陽に朱が入り、拓馬達が金色に光っている。絵にしたいような、のどかな平和さ。
「水城の総会は、２５日でしたね」
　俊の問いに、川西はやれやれといった表情をした。グラスをテーブルに置く。
「ああ、あと１０日だな。お陰で、首尾よく行きそうだ」
　俊は曖昧に笑んだ。見透かされているような気がする。
「まだ、調べているそうだな。君の気持ちもわかるが、もう切り上げなさい。水城冴子が何でも、もう関係ない。これ以上深入りすれば、君の身を保証しかねる」
　少し、きつい口調で言う。
「水城冴子は結局どうなるのですか」
「死ぬだろうな」
　響くように答えた。
「水伊君には、どうなっても水城冴子は邪魔だし、ペンタゴンはなぜか彼女の躰を欲しがっているそうだ。可哀想だが、まぁ仕方のないことだ」
　口調は、少しも可哀想じゃない。
　水城冴子が死んだら、薫はどうなるのだろう。むしろ、俊は薫を哀れに思う。彼女も結局、何も成せずに終わるのだ。自分と同じように。――案外、別れないのはその類似性の為かもしれない。
　ドアがノックされた。
　川西の妻が、華やかに笑いながら入ってくる。
「あなた、用意できましたわ」
　川西は頷き、立ち上がる。窓へ近づく。
「拓馬、真寿美、沙耶加、古都子、食事だ」
　窓を開け、呼ぶ。
　俊も立ち上がる。
「水城会長がな、今日倒れた」
　応接間を出ながら、ふと思いついたように言った。
　俊の足が止まる。川西が振り向く。
「心臓だそうだ。危ないかもしれんな」
　川西が歩き出す。俊も後に続いた。
　動き出した物の大きさや姿が見えるような気がする。薫がどう立ち回っても、歯車の動きは止められず、ただ潰されるだけだ。
　俊は、自分がひどく絶望しているのに微かに驚く。
　食堂から、温かないい匂いがしてくる。今は、それにリアルティを感じない。

　拓馬は、何度も言い出そうとしたが、結局何も言えなかった。
　助手席で、俊は深く躰を沈めている。さっきまでは、にこやかにしていたのに今は無言で無表情だ。
　俊にだけは、冴子とのことを言っておきたかった。逃げるつもりでいることを、伝えておきたかった。
　俊のマンションが近づいてくる。
「……俊兄ぃ」
　俊は無視するように身動きしない。
　拓馬は苦笑する。やはり、言えない。
　このままずっと走り続けていたいとも思う。川西も異母妹達も、失ってもともとかもしれない。が、俊は失えない。
　マンションの前で車を止める。
　俊がドアを開け、降りる。
「俊兄ぃ」
　顔を向ける。俊は、少し笑い短く、
「ありがとう」
　と言った。そして、ドアを閉めた。マンションへ消えていく。
　拓馬は溜息をつく。
　あてのないまま、車を発進させた。