Lonely Avenue
48 水伊、立つ
「――諸君の周知の通り、先日会長がお倒れになられた。幸い、一命は取りとめたものの、予断を許さない状態であることには違いない。 この会長の御病気以来、我<水城コンチェルン>の株価は下降傾向になる。諸君は、それを不安に感じておられることと思う。なぜなら、景気は現在小康状態を保っている。対米を始め、トラブルは特に起こっていない。我、コンチェルンには下降すべき理由が全くもってないのだ。なのに、実際には株価は下降し、安定していない。つまりは、会長が倒れた。それだけが、株価をここまで不安定にさせているのだ。 なぜか。 会長が、孫娘を次代の後継者に指名されていることは、御存知のことであろう。水城冴子、F女学院3年生、17歳の少女だ。もしこのまま、会長が回復されなければ、その17歳の少女が<水城コンチェルン>を継ぐことになる。それに、不安を覚えない者がいるだろうか。 2千の株式会社、300万人を越える世界中の社員達。その運営や生活を彼女の方に負わせるのは、酷というものだ。 彼女は、17歳の少女なのだから。 ――<水城>は代々、直系の者が継いできた。すなわち、水城家に生まれた兄弟の一人が水城となり、あとは水尾、水島、水地等の家を継ぐといった独自のシステムでやってきた。が、そうやって直系を保つことに本当の意味があったのだろうか。水城に生まれなかった故に、その才能を活かすポストを得られず逝った者が過去にどれ程いただろう。 このシステムは、一種の人材潰しなのだ――」 「……好きなことを、言いおって」 父が、小さな声で呟いた。薫は、横目で父の苦虫を噛んだ様な顔を見ていた。 演壇の水伊は、静かに熱っぽく語り続けている。人々は、半ばうっとりとしたように、その言葉に聞き入っている。 ヒトラーだと、薫は思う。人を酔わせる術を知り、コントロールしていこうとしている。しかも、暗に自分の立場の悲劇性まで演出して。 薫は、小さく躰を震わせた。 結果はもうわかっている。会長が倒れた後、蓋を開けてみれば、水城の株の大半が水伊、麻美、水尾の名義になっていた。株の半数を持っている会長がいない総会で、水伊の意見が受諾されるのはわかりきっている。 むしろ、会長が亡くなっていれば、株は冴子の手に渡り手を打つ事が出来たのに。 薫は、そう思うと悔しい。 死んでも困るが、この状態はもっと困る。 会長は、まるで水伊の為に倒れたようなものだ。 唇を噛む。血の味が、口の中に満ちる。 「薫、我々は足元を掬われているのに気付くのが、遅すぎたのだ。会長がおらなければ、我々に何の力も無い」 父は、肩を落としいっぺんに十も老けたように見えた。この人も、もう終りだ。 ふいに、会場がわっと沸いた。水伊の声の調子が上がっている。 確かに、カリスマ的な魅力がある。彼も<水城>の血を引く者だ。薫は、なるべく冷静に水伊を見ようと思った。冴子を、彼から守らなければならないのだから。 「――今、水城コンチェルンは宇宙産業にまで進出している。水城はこれからも伸びて行くだろう。決して、揺らぐことはない――」 薫は顔をしかめ、立ち上がった。こっそり、会場から出て行く。 ドアを閉めると、水伊の声は聞こえなくなった。 長い息を吐いた。 もういいと思った。どのみち、最初から一人で切り開いていかなければならないことだったのだ。水城ではなく、高橋に生まれたということは、そういうことだった筈だ。ゼロから、いや、マイナスから始めるのも、決して悪くはない。 薫は苦笑する。 笑いが込み上げて来る。声が漏れる。 薫は、一人で笑い続けていた。 負けるな。何もあてにするな。 頭の中で、叱咤する声が響く。臆するな。卑屈になるな――。 そうやって、そんな風に生きてゆく為の勇気が欲しい、と願う。 25日、<水城コンチェルン>総会は、水伊科学代表取締役、水伊正樹を会長代理に任命した。併せて、次期会長に、同氏を指名し終わった。 雨が降っている。 冴子はガラスを伝う雨の雫を見ていた。視界の隅に有栖川がいる。 彼は全く気付いていない。聞き込みをしているらしい。向かいに座った女と、懸命に話している。 冴子は冷めかけたコーヒーを飲む。 こうすることが、自分に出来る唯一のオフェンスなのだと思う。 雨は止みそうにない。 もう、遅いのかも知れない。でも、行動しないよりは、ずっとましだ。 拓馬、やはり一緒には行けない。この両手は、血に濡れている。それを知れば、……。拓馬、あなたは正しいから。 冴子はコーヒーを飲み干した。 辛いのは、今だけだ。痛みは、時と共に薄れてゆくだろう。いつか、忘れられる時が来るだろう。 冴子は、苦笑した。 なら、なぜDaddyを忘れられない? 有栖川が女と立ち上がった。 冴子は、ゆっくり後をつける用意を始める。 |