Lonely　Avenue51

　「意外だったわね。冴子が喪主だなんて」
　アップにした髪を解きながら、麻美が言った。頭を、首を振る。豊かなウェーブを描きながら髪が肩に落ちる。
「全く、予定外だったな」
　水伊は、葉巻に火をつけようとしたが、車が大きく揺れてつけることは出来なかった。
「おい、急がなくていいぞ」
「でも、遅れていますが」
　運転手が、バックミラーで水伊を窺いながら答えた。
「遅くなってもいい。川西が上手くやってる筈だ」
　運転手は頷き、車は少しスピードを緩めた。水伊は改めて葉巻に火をつけた。
「いいの？　川西に任せておいて」
　麻美の紅い唇が、ぬめるように動く。
「軍人は嫌いなんだよ」
　麻美は、大袈裟に肩をすくめて見せた。
「あなたって、本当はもの凄く我儘なのよね」
　言い返してやろうと思ったが、やめた。やめると、ふいに暗転したように沈黙がやって来た。
　紫煙がふわっと上がる。
　麻美が、バックから煙草を取り出し火をつける。ライターの刹那の炎に、互いの影を濃くした顔が浮かんだ。
「―――予定外って、何が？」
　麻美が問うたのは、かなりたってからだった。水伊は、瞬間何の事かわからなかった。
「伯母様が死んだこと？　でも、余分に根回ししておいたのだから、関係ないじゃない」
　煙草を持った麻美の長い爪が、今日は珍しくロゼに塗られている。水伊は、大きく息を吐く。
「やはり、予定外だよ。微力とはいえ、伯母様の死で冴子は権限を得た。何もなかった時とは違う」
　思ったより、高揚していると思う。
「それに、喪主を務めたということは、実質お披露目だったと取っていい。会長の意向は消えていない。やはり、冴子は次期＜水城＞なのだと。それは何もかも安定している今、１８の少女が会長でもいいと思わせる。歳が若いのは、時が解決することだと。安定が裏目に出る。私は＜水城＞になれない」
「正樹」
　麻美が遮った。
「それを恐れたから、川西を引き込んだのでしょう」
　麻美のきつい目が、水伊を見詰める。水伊は唇の端をもたげて笑った。なんとこのプリンティングは強力なのだろう。押さえていても、ふいに湧き上がってくる。
　車が見慣れた路地へ入って行く。料亭の門灯が、ほんのり暖かに灯っている。
「麻美、川西は息子と冴子が付き合っているのは、知っているのか？」
　葉巻を揉み消しながら、問うた。麻美は小首を傾げる。
「知らないと思うわ。教えておいた方がいいわね。巻き込まれないとも限らないもの」
　車は緩やかに料亭の門をくぐった。
　既に、黒塗りのベンツが停まっている。水伊は見る度に、ある種の嫌悪感を覚える。
「じゃ、上手くやってね。あなたの部屋で待ってるわ」
　車の中から、麻美が笑いながら言った。水伊は、頷きドアを閉めた。
　玄関では仲居が、彼を待っている。車は麻美を乗せて、門を出て行く。
　水伊も又、一つ息を吐くと、料亭の中に入って行った。

　話は、ほとんど終わっているようだった。が、それがあまり愉快なものではなかったのは、川西の酒量で察せられた。
「すっかり遅くなって、申し訳ありません」
　水伊は丁寧に頭を下げ、川西の隣に座った。
　上座には、男が二人座っている。
　一人は日系、いやちゃいにーずかコリアンらしい。小柄で抜け目なさそうな感じだ。通訳か秘書官なのだろう。
　では、その隣の男がメインと言うわけだ。
　斜向かいの男は、若作りの中年なのか、老けた青年なのか、判断しにくかった。顔つきもそうだ。何系ともいえない。でも、同時に何系ともいえる。ただ、日本人でないのは確かだった。
　水伊は誰かに似ていると思った。が、思い出せない。
「水伊君。ペンタゴンのオダギリ少尉だ」
　男が、水伊を見て小さく頭を下げた。緑色の目が光る。
「水伊です」
　水伊も頭を下げながら、ケン＝オダに似ているのだと思った。名前のせいかもしれない。瞳の色のせいかもしれない。でも、なんとなく似ている。
「通訳のキム＝スフィル軍曹」
　隣のコリアンが頭を下げた。
「オダギリ少尉は、日本語を全く解しません」
　スフィル軍曹が、完璧なアクセントとイントネーションで言った。
　水伊は頷きながら、それは本当だろうかと考える。全くというのは、牽制してのことではないのだろうか。
「水伊君。今も話していたのだが、１２月２２日決行というこでいいだろうか」
　川西の言葉をスフィル軍曹が小声で少尉に通訳している。少しブロンクス訛りがあるようだが、正確に伝えている。
「ええ、今月の２５日、つまり水城冴子の誕生日ですが、それを過ぎたのでは絶対駄目ですし、早過ぎても困ります。冴子は＜水城＞として、無力なまま、後継ぎとして中途半端なまま、死ななければならない」
　少尉が少し遅れて頷く。
「今日、会長夫人の葬儀だったのですが、伯母の死で我々も、又冴子も抜き差しならない状態になりました」
　又、遅れて頷いた。水伊はズレを感じる。それは時間だけではなく、感性であり、言葉のズレだ。川西は黙したまま、盃を嘗めている。
　少尉が、早口に言った。スティールのような、特徴のある声だ。スフィルが伝える。
「わかりました。あと一週間ですね。勿論、秘密裏に行いますが、万が一の場合の手配をお願いします」
「それは、任せてください」
　川西が温和に答える。
「ただ、警察は止められますが、マスコミにスクープされると厄介なことになります。それには充分気をつけてください」
　水伊は盃で唇を湿す。この川西の自信はどこから来るのだろう。自分の身内に、記者を抱えているというのに。
　水伊は川西に伝えなければならない事を思うと、気が重かった。
　少尉が、顎をしゃくるようにして短く話す。切り上げようと言った様だ。軍曹は、言葉を加えて丁寧に言う。
「では、我々はこれで失礼します。どうぞ、吉報を待っていて下さい」
　男達は立ち上がった。
　送り出た玄関で、少尉が振り返り、
「Good　luck」
　と、言った。冴え冴えとした声だった。
「ダミーに吉田美奈子を使うそうだ」
　部屋で改めて酒を酌み交わしながら、川西が言った。
「そうですか」
　水伊には、何の感慨もない。どうせ、裏切り者は死ななければならない。
「葬儀はどうだった？　水城冴子が喪主を務めたそうだな」
「立派でしたよ。１７歳の小娘には見えないほど。あれで、彼女の評価もぐんと上がったでしょうね」
　川西は笑った。
「あれで、付き合っている男がいるというのだから、参ります」
　カマをかけてみた。水伊は、目を細めて川西を見る。
「男がねぇ。どんな物好きか、見てみたいものだな」
　川西の表情には、何の翳りもない。どうやら、彼は知らないらしい。冷笑する。
「川西先生、実は……」
　ふいに、胸が疼いた。言いようのない嫉妬が、湧き上がる。冴子の白い胸が脳裏に浮かぶ。紅い唇。たおやかな首筋。それらを鷲掴みにする男の手。
　水伊は顔をしかめる。
「何か？」
　川西の問いに、水伊は首を振った。
「いえ、何でもありません」
　盃を煽る。川西が徳利を差し出す。それを受けて、又煽った。
　川西に返す。
　川西も受けた盃を、ゆっくり干していった。
「今は、首尾よくいくことを祈るしかないな」
　水伊は頷いて見せながら、冷ややかに微笑んだ。巻き込まれて死ぬなら、死ねばいい。私の冴子を手にした報いだ。
　水伊は、苦い思いを酒と共に飲み干す。