Lonely Avenue

57  ブランク


 冴子の言った通りだった。
 雪が止み、夕闇がほの朱く木立を照らし始めたのに気付いた時、冴子が部屋の灯を点けたのを合図にしたように、激しい爆音で家が揺れた。
「来た!」
 冴子は短く叫ぶと、マシンガンを抱え窓に駆け寄った。ガラスを割る。と、いきなり撃ち始めた。
 爆音と硫黄の匂いが、部屋に満ちる。ふっと音が止んで、冴子が身を伏せる。とたん、今の倍以上の激しさで、爆音が流れ込んできた。
「拓馬、伏せて」
 冴子の声に、はっと身を伏せた。背にしていた窓が、爆音と共に割れた。冴子が、伏せたまま拓馬に近づいてくる。
「片付けてくるから、地下室にいて。シェルターになってるから、安全だわ」
 早口に言った。と、立ち上がり、又外に向って撃った。即座に伏せる。呼び合うように、爆音が戻ってくる。
「この様子じゃ、4人か5人ってところだわ。どうせ、炙り出されるのなら、先んじてやる」
「どういうこと?」
 冴子は、小さな銃を拓馬に握らせた。
「安全装置を外すのを忘れないで。銃撃が止んだら、合間に撃つのよ。後の銃は使っちゃ駄目。暴発するように細工してるから」
「どういうことなの」
 冴子が肩をすくめる。マシンガンの弾を肩にかける。
「Daddyは、炙り出して狩るのが好きなのよ。いつもそうだったわ。それに、彼等の目的は私だわ。じゃ、いい? 直ぐ乗り込まれると思うから、必ず地下室に行って、扉を閉めておくのよ。暴発に巻き込まれるわ」
 言い終わるなり、冴子は立ち上がり、ついでに外に向って撃ち、2階に駆け上がって行った。拓馬は、掌の銃の重みに戸惑う。これは現実なのか?
 冴子のオーラが、梢から梢へ渡っていくのがわかる。
 ふっと、銃声が止んだ。
 強力な【気】が近づいてきている。非人間的な、一目でそれとわかる【気】だ。
 拓馬は立ち上がった。台所へ入る。【気】が玄関に近づいている。拓馬は、そっと勝手口のノブに手を掛けた。辺りに人の気配はない。
 彼等が、家に入ると同時に拓馬は外へ飛び出した。






 結局、マシンガンは重くて捨てた。
 冴子は、枝から枝へ飛び移る。雪が落ちる度に、ひやっとする。
「まず、1人」
 口の中で呟いた。真下に銃を構えた男がいる。たいしたレベルの戦闘員ではない。ロスで父と共に、グリーンベレーを相手にした時のような威圧感は感じられない。
 冴子は木から飛び降りた。男が、あっと空を仰いだ時、冴子の拳が男の眉間を砕いていた。





 彼がキム=スフィルと家に入った時には、中はもぬけの殻だった。
「逃げられましたね」
 スフィルの言葉に彼は笑った。
「あれのパターンはわかっているよ。今頃、森の中でゲリラ戦よろしくやっているだろう」
 彼は、部屋に散らばっている銃を手に取りながら答えた。
「外の連中に、伝えなくて大丈夫ですか?」
 スフィルも銃を取り上げた。
「スフィル、撃つなよ。暴発するように細工してある。パターン通り、教えた通りだな」
「少尉、外の連中は」
「構わんだろう」
 彼は言い捨てた。
「彼等には悪いが、あれの相手にはならない。個体のレベルが違いすぎる。せめて、怪我ぐらい負わせてくれて動きを止めてくれればいいが、それも無理だろう」
 冷たく言いながら、部屋をチェックする。
「申し訳ありません。ろくな連中を集められなくて」
「お前が謝ることはない。どこでも上司というものは不理解なものだ。私は、彼等にあの程度では必ず殺られると言った。が、彼等は聞き流した。私のせいでも、お前のせいでもない」
 笑う。が、目は笑っていない。緑の瞳が、冷たく光っている。
「――もう1人、いたようですね」
 スフィルが、2つ使ったままになっているカップを指して言う。
「男だな。匂いが残っている」
 彼は、その残り香に川西代議士の影を感じた。この判断が正しいのなら、男は川西代議士の縁の者ということになる。
 面倒な事になるかもしれない。
 時間をかけるつもりだったが、急いだ方がいいだろう。
 男は苦々しく思った。





 拓馬は、用心深く雪の中を進む。
 家に入ったのは、2人。あと2人か3人、外にいる筈だ。
 家はしんとしている。銃の細工は見抜かれたのだろう。森の中もしんとしている。夜がカーテンのように降りている。
 雪明りと家に点されている灯で、闇にはなっていない。が、視界良好とはいえない。拓馬は【気】を開いている。
 不意に、足元のものに躓いた。
 叫び出そうとする口を無理矢理塞いだ。
 眉間を割られた死体は、驚いたような表情のままだ。傷の間から、白灰色の脳が覗いている。
 叫びを飲み込む。飲み下す。
 何の為にここにいるのか? 冴子の手をこれ以上汚さない為ではないのか。大きな呼吸を繰り返す。拓馬は、銃の安全装置を外した。
 これは、現実だ。
 冴子を失いたくないのなら、手を汚すしかない。





 2人目を殺った時、妙だと思った。
 冴子は、甲に散った返り血を嘗めながら、やはり妙だと感じた。
 こんな素人のような者を使うのなら、なぜもっと大人数で仕掛けてこない? ここでは補給も出来ない筈だ。なのに、たった5人で片付けようなんて。一体、何を相手にするかわかっているのか? 
 3人目の男が、木立を抜けて走っていく。冴子に気付いていない。夜に紛れて、見えていないのだろう。
 冴子は梢に飛び移った。
 跡を追う。
 血を浴びた服が、早、凍り始めている。早く片付けてしまわないと、凍死するかもしれない。冴子は唇の端だけで笑った。
 と、笑みが止まる。
 なら、Daddyは長期戦にするだろう。別荘を捨てている以上、冴子が凍死する幸運がない訳じゃない。凍死しないでも、寒さは運動能力を著しく低下させる。だから、雑魚でいい。冴子を外に留め、血でも浴びさせればいいのだから。
 銃声が響いた。
 ザアッーっと枝の雪が落ちる音が続く。
 冴子は、ピッチを上げる。





 ふいに、木陰から男が現れた。目があった。拓馬は、反射的に引き金を引いた。外れた。というより、全く見当違いの方向へ撃っていた。発射の衝撃が、恐怖を駆り立てる。もう一発。当たらない。
 男は、ニヤッと笑った。
 ゆっくり近づいてくる。腰からナイフを取り出した。嬲り殺しにするつもりなのか。
 拓馬は、唾液を飲み込む。
 もう一度、銃を構える。男は怯まない。
「拓馬!」
 梢から、黒い鳥のように冴子が降り立つ。男が振り返り、銃を構えた。
 殺られる。
「冴子!」
 引き金を引いた。男が、振り向いた姿勢のまま、倒れた。
 冴子がゆっくり近づき、男を見下ろした。そして、拓馬の側にやってきた。
「死んだわ」
 拓馬の震える手から銃を取った。
「こ、殺してしまった……」
 拓馬は呻いた。
「あと2人」
 冴子は言った。





 銃声が三つ続いた後、沈黙が戻った。
「殺られたな」
 彼は言うと、ジャケットを脱ぎ始めた。
「スフィル、いいと言うまで目を瞑っていろ。下手に見ると狂うぞ」
 彼は、言いながら次々服を脱いでいく。
「出ますか?」
「ああ。川西に関係のある男がいるなら、早く片付けた方がいいだろう。もっと気温が下がるのを待っていたかったのだがな。スフィル、目を瞑れよ」
 スフィルは、言われるままに目を閉じた。
「スフィル。あれもメタモルフォーゼするだろう。始まったら、目を閉じろ。決して、見るんじゃない」
 スフィルが、目を閉じたまま笑った。
「そんなに凄いのですか」
「これを見て狂わなかったのは、静音だけだった」
 彼の声が次第に、くぐもったものになってくる。気配の質が変わってくるのがわかる。
「少尉、水城冴子のことをよく知っておられるのですね」
「娘だからな」
「―――」
 彼の言葉に、スフィルは目を開けそうになって焦った。彼が含むように笑う。
「あれは、私の娘だよ。スフィル、もういいぞ」
 目を開けた。
 黄金色の美しい獣がいた。豹でもピューマでもない。大きなアビシニアン種の猫。緑に光る瞳。
「さあ、行こう」
 獣の口から、声が漏れた。

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