Ｌｏｎｅｌｙ　Ａｖｅｎｕｅ６

　とたん、目付きが鋭くなったので、口を滑らせたのだと拓馬は悟った。
「あなた、何なの？」
　冴子が、上目使いに押し殺したような声で言う。
　港を見下ろす喫茶店、土曜の昼下がりだというのになぜか閑散としていた。窓から差し込む陽光に、青いソーダー水が弾ける。氷が、カラッと音を立てた。
「何って、その、普通の大学生だよ。学生証、見せようか？」
　拓馬の言葉に、冴子が手を出した。きつい眼差し。拓馬は、肩をすくめポケットからカードケースを取り出し、手渡した。冴子が、ゆっくりそれを開けた。と、唇に皮肉な笑みを浮かべた。
「Ｋ大法学部って、将来は弁護士？」
「いや、代議士」
　えっというように、冴子が顔を上げる。
「親父の予定だとね」
　冴子が、目を細め眉を寄せる。そんな表情でさえ、グラビアのように綺麗だ。
「私、月島なんて代議士、聞いたことないわよ」
　瞬間、拓馬は又妙な違和感が背中を通るのを感じた。
「いや、その、親父っても、籍の上じゃ他人だから」
　冴子の表情が少し緩む。もう話の先を、察したような気配だ。そうだ。さっきから話の先を何度も読まれている。妙に、勘がいい。が、それは普通に勘がいいというのとは、ニュアンスが違う。
　拓馬は、息をついた。冴子が、カードケースを差し出す。
「あ、だから、私生児と付き合うなんて、困る？」
　冴子がクスッと笑う。華が、零れるようだ。
「別に。よくあることじゃない」
「ドライなんだね」
「冷たいのよ」
　間を置かず、早口に言った。
「高慢、冷酷、気紛れ、たいていそう言われるわ」
　他人事のように言って、冴子は頬杖をついた。窓の外に目をやる。
「そんなこと、ないだろ」
　とは言ったものの、確かにそうかも知れないと思った。
　Ｆ女学園の校門で、冴子は一人だった。ありふれた下校風景。周りに同じ生徒がいる。同級生らしい少女達が「さようなら」と声を掛けていく。なのに、冴子は一人だった。その異質さ故に。そう、容姿等で単に目立つとかそういうレベルではなく、彼女の存在そのものが異質に見えた。
　拓馬は【力】を使いたいという欲求を持て余す。
「――17ったら、３年だよね。進学するの？」
「さぁ」
　冴子は、向こうを向いたままだ。
「どうでもいいじゃない、そんなこと」
　ふうと息をつき、向き直った。真っ直ぐ拓馬を見詰める。
「こないだの事、学校にチクらなければいいの。そぐってようが、いまいが、今のところ私、高校生やらなきゃならないんだから」
　瞳が、暗緑色を帯びてくる。それまで見えなかったオーラが、ぼんやり輝き始める。
　やはり「高校生」がそぐわない等と、指摘してはいけなかったのだ。彼女は、あれでも周囲に同調しようとしているのかも知れないのだから。
「言いやしないよ。でも、あんな時間に出歩くなんて、危険……現に危なかった」
　冴子は鼻で笑って遮った。
「馬鹿馬鹿しい、単なるレクリエーション、もぐら叩きじゃない」
　又、ザワッとした違和感が躰の中を通り抜けた。固唾を飲む。
「もしかして、あの喧嘩が、レクリエーションっていうわけ」
　声が引きつっているのがわかる。冴子が、シニカルに笑い当然のように頷く。
　バンッ、と思いきりテーブルを叩いていた。ショックで、グラスが落下して派手な音を立てて割れた。
「レクリエーションで、叩きのめしたのか！」
　大声に、冴子が首をすくめる。驚いて目を見開いている。
「君は、叩きのめす為に、あそこにいたのか！」

　満開の桜が、雪のように舞っている。
「ごめん、さっきは」
　ふいに立ち止まった彼が言った。
「あんな風に、怒鳴ったりして…」
　溜息をついて項垂れる。後で謝るくらいなら、言わなければいいのよ。言い掛けてやめた。項垂れている彼は、迷子の小犬のようだ。ゆるやかなウェーブのかかった前髪に、花弁が降る。
「その、なんて言うか。俺、嫌いなんだよ。暴力って、駄目なんだ」
　そう言えるのは、平和な生活を送ってきたからだと思う。
　冴子は歩き出す。彼も並んで歩く。
　明るい日差し。全てが、微睡んでいるようだ。
「だから、ごめん」
「別に、関係ないわ。私、あなたに理解して欲しい訳じゃないんだから」
　彼が小石を蹴った。言い方、少しきつかったかな。蹴った小石に追いつく。又、蹴る。
　静かだ。桜の散る音さえ聞こえてくる。こんな静かな時間、日本に来て始めてのような気がする。優しい日差し。風。髪が揺れる。風をはらむ。なんだか、飛べそうだ。そう、飛ぶ。飛ぶんだ。そして帰ろう。帰ろう。
　でも、どこへ？
　――クォ・ヴァデス
「俺と、付き合うのなんていや？」
　声が、現実に引き戻す。失望、焦燥、でも愛想笑いをして見せるぐらいの余裕はある。
「だから、俺、君のこと、もっと知りたいし、君に俺のこと知ってもらいたい。こういうのって、自然だよね」
　それが何になるの、と凄んで見せるのは簡単だ。でも、今日、今じゃなくてもいい。だって、今日は良い天気だから。
　取り敢えず、意味のない笑みを作っておいた。
　桜並木の向こう、港が、海が、キラキラ乱反射を繰り返している。