Lonely　Avenue60

　雪が降る。
　チラチラと雪が舞っている。
　俊は、拓馬の墓前にいた。今、島では拓馬の葬儀が行なわれている。分骨された拓馬が、祖母達の墓に入る。
　帰れなかった。今、島へ帰れば、二度と出てゆけなくなる。そう思える程、精神は疲労している。
　俊は、コートを脱いで側に置いた。舞扇を取り出す。
　音を立てて、扇を広げた。音が、耳の奥から蘇る。楽が、口から流れた。
　俊は、舞う。
　ゆっくり、大きく、彼方を目指すように。たたらを踏み、弧を描き、留め、流す。
　精神が、ゆっくり広がる。一つの星図が、次第に姿を見せる。星々のように瞬いているのは、人の影だ。星々は、流れ、近づき、スパークする。光が彼方へと導く。
　開放された光――。
　眠り続け、両親の死と共に封印されていたもの。
　肩に雪が降る。冷たさを感じない。まだ、開放されたものに、馴染んでいない。
　俊は、静かに扇を閉じた。
　額の傷が痛む。
　と、背後でカツンという足音がした。
　黒い毛皮のコートの女が、ゆっくり近づいてくる。蒼いオーラ。誰とも違う女。
　水城冴子は、白い百合の大きな花束を持って、近づいてきた。
　俊を見て、軽く会釈する。墓前に花束を置くと、手を合わせて俯いた。美しい横顔。美しいだけの横顔。もう何の感情もない。
「――吉田美奈子が、保護されたわ」
　しばらくして振り向くと、俊を見上げて言った。
「発狂していたわ。今は病院。二度と回復しないでしょうね」
　立ち上がった。薄い唇が紅い。淡く化粧した顔は、写真で見たどの冴子よりも美しい。
「どういうことだ？」
　問いに、冴子は小さく肩をすくめた。
「私の遺体の代わりにするつもりだったんでしょう」
「なぜ、発狂した」
　寒気を感じた。巻き込んだばかりに――。俊は、吉田の丸い顔や舌足らずな声を思い出す。
　冴子が肩に落ちた雪を払う。
「Ｋｅｎ＝Ｏｄａの姿を見たのでしょう」
　俊は納得する。コートを取り上げ、袖を通した。ポケットから煙草を出すと、火を点けた。
「ペンタゴンは手を引いたわ。Ｋｅｎ＝Ｏｄａは帰国した。成田で確認したわ」
　淡々とした口調。人間とは違う。今は、あの異質なものとしか目に映らない。
「どうして、ペンタゴンは手を引いたんだ？」
　俊は、問いながら答えは知っていると思った。代理とはいえ、新年から会長になる者に手出し出来る訳がない。水伊も薫も死んだ。水地麻美は狂ったままだ。もう誰も残っていない。これ以上＜水城＞が後継者問題で揺れることは、世界経済の混乱を招くだけだ。
　冴子がシニカルに笑った。
「彼等は、純血種を手に入れるわ」
　一瞬、何のことかわからなかった。
「卵子を提供することで、折り合いがついたの。だから、ペンタゴンも手を引いたわ」
「純血って、他にも……。ケン＝オダは、父親だろう！」
　煙草が指から落ちた。冴子は全く表情を変えない。
「ええ、彼は私の父親だわ。でも、それが何だと言うの」
　瞳が暗緑色に光っている。そうだ。彼等は人間じゃない。人のタブー等、彼等には関係ない。
　人であることをやめるのだな。
　俊は、又煙草に火を点けた。
「薫の葬儀に出るのでしょう」
　冴子を見た。唇が勝手に動いた。
「お前が殺したんだな」
　冴子の唇の端が、アルカイックに擡げられた。言葉が無意識のまま続く。
「水伊を殺したのもお前だ。いや、それだけじゃない。俺は知っている。Ｎ中から始まって、どれだけの人を殺した。有栖川さんも、竹村も。――拓馬もお前に殺されたようなものだ！」
　拓馬の名が出た時だけ、冴子は顔をしかめた。が、黙っている。否定も肯定もしない。
　雪が疎らになってくる。
　俊は、皮肉な笑みを浮かべた。
「俺も、殺すか？　俺はお前が何で、何をしてきたか全て知っている。口を閉ざしておいた方がいいのじゃないか？」
　冴子も皮肉な笑みを浮かべて、首を振った。
「川西代議士と手を結ぶことになっているの」
　俊の顔から笑みが消えた。
「雑誌社やめて、川西の秘書にでもなるの？　＜水城＞がバックについた以上、彼は大臣、いいえ総理になるわ」
　冴子が軽く頭を振って、髪の雪を払う。
「――日本を出る」
　動きを止めて、俊を見た。
「今日のフライトで、シンガポールへ渡る。もう、帰ってくる気はないから、安心していい」
「どうして？　川西が、あなたを欲しがっているという話、聞いたわよ」
　俊は笑った。
「俺は、利用されるのはゴメンだし、政治家になるつもりもない」
　冴子は怪訝な顔をしている。
「拓馬がこじ開けて逝ったこの【力】は、人の上に君臨する為の力だ。王の器だ。それがわかるから、逃げる」
　冴子は怪訝な顔を崩さない。逃げても同じかもしれない。額の金冠は人の目に映らなくても、人は感じ集まってくるのかもしれない。祖母が、祖先達がそうだったように。いや、もっとまずい。
「……私」
　ふいに、冴子が言った。
「私、むしろこれで良かったと思っている」
　軽く目を伏せる。長い睫毛が、瞳を隠す。
「お互いの異質さ故に、惹かれあって、それでこの先ちゃんとやっていけたかしら？　駄目よね。憎しみ合う前に、こうなって私は良かったと思っている」
　不思議と怒りは、沸いてこなかった。そういう風に納得されてしまう拓馬を哀れに思う。
「でも、私は許せない」
　オーラが一瞬、燃え立つ。
「私から拓馬を奪ったもの、奪う要因になった諸々を、全てを、私は許せない」
　風が吹いて、雪が舞い上がった。冴子が笑った。アルカイックに、残酷に。
「全て、呪われるがいい。＜水城＞の力で、いつかペンタゴンを、ステーツを潰すわ」
　全ての中に、川西も多分入っているのだ。いや、彼女は今、人間全てを憎んでいる。深い憎悪が、彼女を幾重にも取り囲んでいる。
　拓馬。確かにお前は彼女を導いた。彼女は行くべき所を知った。彼女は、血塗られた両手で、巨大な楼閣を築くだろう。沢山のものを踏みつけにして。けれど、彼女の良心はもう痛まない。彼女は人間であることをやめた。
「それは、拓馬の望んだことではないだろう」
　冴子も首を振った。
「わかってるわ。でも、最期にあの人が呼んだのは、私じゃない」
「あれは――」
　俊は、大きく息を吐いた。首を振る。
　拓馬、お前の「運命の女」は。お前の望んだ道の正反対を歩んで行こうとしている。
　それでいいのか？
　答えがある訳がない。
　冴子が、腕時計に目を落とす。
「行くわ。薫の葬儀があるの」
　雪を払い、歩き始めた。
「水城」
　振り返る。一瞬、薫が振り返ったのかと錯覚する。アーモンド型の瞳、細い鼻梁、薄い唇、細い顎。抱き締めてやるべきだった。何も言わず、何も言わせず、ただ抱いてやれば良かった。
「………」
　冴子が微かに笑った。もう、子供じゃない、大人の笑みだ。
　向き直り、歩き出そうとする。
「俺は――」
　又、振り向く。
「俺は、薫を愛していた」
「私を憎むといいわ」
　言い捨てて、背を向けた。ヒールの音が、カツカツと次第に遠ざかって行く。
　道は、遠い。
　雪は、まだ止まない。
　俊の頬に、涙がすっと流れた。

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