制服の少女達が、次々と校門から出ていく。
ハンドルを握ったまま、拓馬は何度目かの溜息をついた。
冴子が出てこない。
この１週間。こうして待っているのに、冴子の姿を見る事は出来なかった。
１ヶ月になる。冴子からは何の音沙汰もない。Ｆ女学院に通っている。それ以外は何も知らない。だから。
避けられているのではないかと、ようやく思う。
１週間。全く登校しないということはないだろう。下校しようとして、車に気付く。そして、背を向ける。
きつい表情の冴子。くるっと向きを変える。翻るスカート。風をはらむ髪。何もかも拒絶するように。
拓馬は脳裏に浮かんできた姿を、首を振って消した。それは考えすぎだと思う。けれど。
まただ。
拓馬は、右手で額を叩いた。
冴子の後ろ姿。早足に遠ざかる。
気がつけば、冴子の幻を見ていた。決して拓馬を見ない幻。現実の視界にだぶってくる。そして、何が現実なのかわからなくなってくる。
拓馬は、校門を見詰めた。
下校する生徒が、疎らになってきている。
「あっ」
髪の長い生徒が、一瞬冴子に見えた。 still
crazy after there years
誰の歌だったんだろう。拓馬は苦笑する。はまりすぎている。
ふいにコツコツという音がした。
はっとして横を見た。
女性が、２２、３歳の眼鏡をかけた女性が、車の左の窓から覗き込んでいた。女性には、見覚えがあった。が、誰なのか思い出せない。
「何か」
パワーウィンドーを下げて問う。女性は、ゆっくり微笑する。
「月島拓馬さんね。冴子は出てこないわよ」
「……」
「少しお話があるのだけど、よろしいかしら」
拓馬は顔をしかめた。
「水城冴子のことで。私、彼女の弁護士で高橋といいます」
女性は、名刺を車に差し入れた。
淡いペールブルーの上質紙。名を見て、はっとした。
「高橋薫さん？」
「始めまして」
と、薫は言った。いや、始めてではないと、拓馬は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
陰鬱なヴァイオリンが流れていた。アールデコ調の薄暗い喫茶店だ。
高橋薫は、エスプレッソをブラックのままで飲んでいた。拓馬はアメリカンにミルクを入れたのを少し悔やんだ。こういう人から見れば、軟弱に見えるんだろうと思う。２、３歳しか違わないのに、彼女はずっと大人だ。大人の強さと賢しさが、躰の内から溢れている。
俊と似ている。
強さと賢しさと。違っているのは、俊が自分の中に向かっているのに対して、彼女は外に向かっているということだ。何か、裏付けのある自信と共に。
「はっきり申します。水城冴子とは、ニ度と会わないで下さい」
唐突に、薫が言った。拓馬は、コーヒーカップをソーサーに戻した。
「……」
奥歯がギリッと鳴った。
「どういうお付き合いかは知りませんが、これ以上深入りされない方が、あなたの為です」
事務的な口調。眼鏡のせいか、口調のせいか、ひどく冷たい。コントロールを失わせる声だ。怒りが湧いてくる。言葉はちゃんと冷静に受け止めているのに、怒りで躰が震える。
「どういうことです」
掠れた声。情けない程動揺している。冴子の幻が、浮かんで消える。
「＜水城コンチェルン＞御存知ですね。冴子は、その会長の唯一の孫です。つまり、将来はコンチェルンを継ぐ身です。これだけ申し上げれば、私のお願いする意味がわかっていただけると思いますが」
震えが止まらない。躰の中で【力】が、出口を求めてさ迷っている。
冴子、お前が悪い。何も話さなかったお前が。こんな人に話させたお前が。
必死で【力】を抑え付ける。たったこれだけのことで、コントロールを失うほど…。
still crazy……
「わかっていただけますね」
「あなたの言いたいこと、わかります」
拓馬の言葉に、薫はほっとするように笑った。
「……でも、でも、それに何の意味が……」
全身が、激しく震える。テーブルがガタガタ鳴る。
「それに何の意味があるんです！」
叫んだ瞬間、ぱっと店内の明かりが消えた。
「きゃ」
「停電？」
闇の中で、ざわざわと声がする。
拓馬は、はあと息をついた。ブレーカーを飛ばしただけですんだことに安堵した。
「――意味はあるのよ。あなたにはわからないと思うけど」
平静な声。停電に全く動揺していない。本当に強い人なんだなと思う。自分に対しても、他人に対しても。
かなわないなと思う。
「冴子は？」
愚問だ。もう会わないというのが冴子の意思なら、冴子は自分で言うだろう。酷薄に、冷ややかに笑いながら。
電灯がついた。
「今すぐどうとは申しませんが、こんな事突然言われて……。あなたの気持ち、わかるつもりです」
微笑む。余裕のある笑み。
「冴子の為に、お願いします。深入りすれば、冴子も傷つきます」
【力】を使ったせいか、頭がぼうっとしている。薫の声が遠い。冴子の幻が……冴子が振り返る。
「すきよ、拓馬」
蘇る声。ぬくもり。瞳の輝き。今更、それらを失うことが出来るだろうか。
「……すみません。俺、駄目です。俺には冴子が必要なんです」
薫がじっと拓馬の目を見ていた。
「――残念ね」
しばらくして薫は言い、レシートを持って立ち上がった。
「あなたは、冴子のことを何も知らないから、そう言えるのよ。何かあったら連絡して。守ってあげるわ、冴子から」
早口に言って、歩き出した。その後ろ姿に、冴子の姿がだぶった。胸がきりきりと痛む。
と、薫が立ち止まり振り返った。
「でも、邪魔はするわよ。早く別れるように」
悪戯っぽく笑って向き直った。鮮やかに、生命の軌跡が後を追う。
拓馬は唇を噛んだ。
「ギムレット」
冴子が告げると、バーテンダーは無言のまま空になったグラスを下げた。カウンターの端。かったるいジャズが心地いい。
３杯目のギムレットが、前に置かれる。グラスに口をつけた。
さて、どうしよう。
関連づけられれば、ヤバイだろう。全く無関係に、静かに、目立たず。
林田、有栖川、竹村、そして……。
「拓馬」
不意に、拓馬の顔が浮かんだ。
拓馬、この１週間校門の前に来ていた。ずっと待っていた。多分、はっきり告げるべきなのだろう。もう会わないと。そうしないと、拓馬は待ち続けるだろう。
「電話しなきゃ」
拓馬を殺すのはつらいだろうと思う。そして、今なら殺す必要はないはずだ。
「……すきよ、拓馬」
冴子は、囁いた。
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