Lonely　Avenue42

　冴子の躰は白い。
　それも白人のような単なる色素不足の白さではなく、オークルに白と紅を品良く混ぜ合わせた雪花石のような白さだった。口付けた痕が、ほんのに桜色に染まっていく。伸びやかな四肢。しなやかな弾力。胸と腰は豊かさこそないが、かえってそれが野生の獣のような美しさを感じさせる。
「綺麗だ」
　もう何度囁いただろうか。その度、冴子が小さく笑う。優しい表情。躰の緊張が次第に解けていく。ただ、手だけが戸惑うように、シーツと拓馬の肩の間を行ったり来たりしていた。
　抱くことで、冴子の不安が消えるとは思ってなかった。冴子のトラウマは、そんな簡単なものじゃない。
「拓馬」
　肩にしがみついて、爪を立てる。
　が、この流れに逆らえる訳がない。それに、二人で流れていくのなら、どうなってもいいと心底思った。
　瞬間、彼女は低く呻いた。
　初めてだったのかと聞くと、顔をしかめた。そして、しがみついて
「いたい」
　と、言った。その声には甘えがあった。

　人の動く気配に、目が覚めた。
　夜明けが近いようだ。部屋は、カーテンの隙間から射す光で、ぼんやり明るい。
　ベッドの脇で、冴子が背中を向けて座っていた。
　考え事でもしているのか、腕を組み俯いている。拓馬は、その背骨の真っ直ぐなラインを美しいと思う。
　自然に顔がほころぶ。
　満ち足りた思いで一杯だった。自分のありったけの優しい感情が、湧き上がってくる。もう、不安はなかった。雲間から光が射すように、心が光にむかっているのを感じていた。
　次第に明るくなる光に、冴子の肌の色が鮮やかになる。ムスクのような体臭が、微かに鼻腔をくすぐっている。
「冴子」
　腕を伸ばして、背中に触れた。反応がない。
「――冴子？」
　躰を起こした。ゆっくり、冴子が顔を向けた。拓馬は、息を飲んだ。
　無表情の中、目だけが冷たく光っている。酷薄な唇。昨夜とは別人のようだ。
「抱かれるのじゃなかった」
　無表情のまま、唇だけを動かして言った。
「救われないのを知っただけだわ」
　又、背中を向けた。
「冴子」
　拓馬は、冴子の肩を掴んで自分の方を向かせる。
「もう少し、わかるように言ってくれよ」
　宥める様に言う。冴子の視線が、あちらこちらに移動している。考えているようであり、拒んでいるようでもあった。
「冴子、一緒に行くんだろ」
　視線が、拓馬を捕らえて止まった。
　長い沈黙。目を反らせたら終わりだ。拓馬は強い思いをこめて、冴子を見詰める。冴子の目の色が微妙に変わる。緑に近かったものが、次第に沈んで黒っぽくなっていく。光のせいだけとは思えない変化。それが何を意味するのかなんてわからない。
　と、冴子が溜息をついて、目を反らせた。
「人類の二大タブーって、知ってる？」
　視線を落としたまま、抑揚のない声で問うた。
「近親相姦と、親殺しってやつ？」
　拓馬の答えに、冴子は薄く笑う。
「私は、Ｄａｄｄｙを殺したし、Ｄａｄｄｙに抱かれたかった」
　冴子が唇と噛んだ。拓馬はどう言っていいか、わからない。
「わかない振りをしていただけだった。Ｄａｄｄｙが、女を買う度、その女と代わりたいと思っていたのに。Ｄａｄｄｙに抱いて欲しかったのに」
　肩が震えている。でも、相変わらず無表情のままだ。声にも抑揚がない。
「ファザコンって、誰にも多かれ少なかれ、あるもんだよ」
「だから、殺したわ」
　拓馬の言葉が届いていないようだった。
「愛していたけど、憎んでいたから。手にかけた訳ではないにしろ、あの状況では私が殺したようなもの。私が、殺した――」
　ふっと、黙った。最後の言葉だけが、部屋を谺しているようだ。冴子は彫像のように動かない。
　拓馬は、何を言えるのか考える。が、自分自身、罪悪感から解かれる術を持たないのに、冴子に何を言っても他人事でしかないことを知っていた。
　ふいに、冴子が顔を上げた。瞳が怒りに燃えている。
「どうして」
　吐くように言った。
「どうして、人間のタブーに惑わされるの！」　
　立ち上がった。手早く服を着ていく。
「冴子」
　追うようにベッドから降り、無理矢理抱き締める。抗う冴子の手から、シャツが落ちる。離れようともがく。が、時期に背中に腕を回した。躰の力が抜ける。
「――本当に、私と逃げるの？」
　声は冷たい。
「私、人間じゃないよ」
　拓馬は笑う。
「関係ない」
　口付ける。
「俺も似たようなものかもしれない」
　腕を緩めた。【気】を集める。シャツがふわっと浮き上がって、冴子の肩に乗った。スカートが足元で浮いている。
　冴子は、全く動じなかった。服を着る。
「帰るわ」
　腕を擦り抜け、背を向ける。
「送るよ」
　振り向いて、首を振った。
「一人で帰るわ」
　近づいてくる。微かに微笑している。軽いキスをした。
「又、来る。私、拓馬のこと好き。それは本当よ」
　踵を返す。玄関でもう一度振り向いた。
「――それでも、あなたは人間だわ」
　出て行った。
　拓馬は、長い間ドアを見詰めていた。

　吉田美奈子はその朝、水伊の指示に従った。
　愚かだと承知していたが、そうするしかないと思い込んでいた。後のことは考えたくなかった。
　それは、ひどく簡単なことだった。
　吉田美奈子は、プレッシャーを解かれて安堵する。

　薫は、カーテンの隙間から外を見た。
　まばらな車が、朝の光に煌きながら走っている。空は遠く、秋の気配に満ちていた。
　俊はまだ眠っている。
　どうして続いているのか、自分でもよくわからなかった。情報を得る為等と思っていたが、二人ともそういう話をしたことがない。多分、これからもないだろう。
　薫は、左肩の疼きが去るのを待つ。
　愛とかじゃないことも確かだと思う。お互いに利用し、踏みつける冷酷さも持っている。そして、それを隠そうともしない。
　慢性化しつつある疼きは、なかなか去らない。
　どうすればいいのだろう？　苛立ちが、さざ波のように打ち寄せる。
　薫は向き直り、煙草を取る為にベッドに近づいた。